彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

家康から拝領した「唐の頭」 ~菅田将暉への説明の補足~

昨日(10月16日)のNHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」は彦根が舞台で、大河ドラマ井伊直政役を演じている俳優の菅田将暉彦根井伊直政ゆかりのものに触れていました。
その中で、彦根城博物館で井伊家当主の「赤備え」の甲冑を見学したとき、説明していた学芸員が「唐の頭(からのかしら)」の話をしていましたので、ここで説明を加えておきます。

江戸時代の井伊家当主は、当主の座につくとそれぞれ「大将タイプ」の甲冑をこしらえましたが、その際、徳川家康から拝領した「唐の頭」を先代から受け継いでいたことを私がみつけたのは、2011年秋に開催した展覧会「武門の絆―徳川将軍家と井伊家―」の調査の際のことです。


戦国時代の甲冑は、「変わり兜」と呼ばれるさまざまな飾りが施されましたものが見られます。その中に「唐の頭」と呼ばれた毛をつけたものがあります。

この毛は、チベット高原に生息する犛牛(やく)という動物の毛で、中国からもたされたため「唐の頭」と呼ばれました。雨露を防ぎ、威嚇効果もあることから、兜に動物の毛をかぶせることが戦国大名の間で流行しました。徳川家康がこれを好んだことは、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭と本多平八」とうたわれたことからもよく知られています。

江戸時代中期から明治期の井伊家伝来資料の中に、井伊家当主を継承すると受け継ぐ3品があったという記述を見つけました。いわゆる「三種の神器」のようなものです。その3品とは
1 御拝領唐頭毛御立物
2 御麾
3 御軍扇
の3つで、これを列記した目録が数点現存しています。
年代がわかるもの古いものとしては、寛政元年(1789)4月24日付けの文書が現存しています。これは、井伊家11代直中が家督相続した8日後にあたります。

ここに記される1つ目は、拝領した「唐の頭」の毛で、「立物(たてもの)」(兜につける装飾)として使うものということがわかります。この目録からだけでは誰から拝領したかは特定できませんが、明治時代の記録には家康からの拝領品と記されています。また、誰が受け取ったかも記録はありませんが、家康から拝領したとなれば初代直政か2代直孝のどちらかに限定されます。
2つ目と3つ目は、大将が軍団を指揮するする際に使う采配と軍扇です。

このことから、この3品は家康から拝領した「唐の頭」を付けて軍団を指揮することを象徴する品であり、それを受け継ぐということは井伊の「赤備え」隊の大将の役割を継承する意味が込められていることがわかります。

井伊隊とは、直政を大将にするよう家康が命じて組織した部隊であったことを考えると、「唐の頭」を拝領したのは直政だったのではないでしょうか。
(もちろんこれは裏付けのある話ではなく、直政であってほしいという希望的観測が含まれているのですが。)

この3品は、13代当主直弼の甲冑にも附属していたことが、その具足櫃に入っている「御具足入記」に記されています。さらにそこには、万延元年(1860)5月21日に御譲りになったという加筆があり、新当主の就任に伴ってこの具足櫃から取り出されて移されたことが明記されています。

その後の3品の行方については、明治35年(1902)時点で東京に所在するという記録があります。明治以降、井伊家の本邸は東京市麹町区一番町(現、東京都千代田区)にあったことから、そこで保管されていたのでしょう。しかし、この屋敷は関東大震災によって罹災し、多くの所蔵品が焼失してしまいました。これらの3品もそれらと同様の運命をたどったようです。


この内容は、
彦根市制75周年・彦根城博物館開館25周年記念企画展「武門の絆―徳川将軍家と井伊家―」2011年10月~11月、彦根城博物館
で初めて紹介し、展覧会図録でも、コラムとして「井伊家当主の『三種の神器』」を掲載しています。

コラムの文章は
「井伊家当主の『三種の神器』」(彦根市の広報誌「広報ひこね」での彦根城博物館の連載「ときの玉手箱」、2011年11月1日号)でもご覧いただけます。
http://www.city.hikone.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000003/3707/20111101KH03.pdf