彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

2017-01-01から1年間の記事一覧

真田昌幸の助命~井伊直政の交渉術~

関ヶ原合戦で徳川家康をもっとも苦しめたといえるのが真田昌幸。戦後、家康は昌幸を生かしておくつもりはありませんでしたが、井伊直政の交渉術によって昌幸の命は助けられたと伝わります。 ここでは、その話を記す史料を紹介します。 この話は、真田家文書…

井伊直政の肖像画あれこれ

写真のなかった時代の人物は、肖像画が残っているとどんな人だったのかイメージしやすいものです。でも何種類もあると、どれが本人に近いのだろう?と思いますよね。 井伊直政の肖像画は数種類残っています。よく使われているのは、『井伊直政 家康筆頭家臣…

井伊直政が家康家臣となった際の逸話について(推論)

『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』を刊行したことで、いくつか取材を受けました。その中で聞かれたことで、著書の中に記していなかったことをここで記しておきます。 井伊直政が家康の鷹狩の際に偶然対面して家臣となったという逸話について。 直政が家康に…

井伊直政 はじめての大仕事

直政が実績を残した最初の大仕事は何でしょうか? それは、天正10年(1582)8月から10月にかけて甲斐国で北条氏と戦い、旧武田領を手に入れた「天正壬午の乱」と断言できます。 この年の3月に武田氏は滅亡し、旧武田領は織田信長の支配下となりますが、6月の…

井伊直政はなぜ徳川家康の筆頭家臣に昇り詰めたのか?

『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』のテーマは、 井伊直政はなぜ徳川家康の筆頭家臣に取り立てられたのか? という理由を探ることでした。 結論だけを言ってしまえば、 名門の出自+外交交渉能力 この2つが直政を家康筆頭家臣にしたと考えられます。 まず出…

井伊直政が松下家の養子となった理由

大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、若き日の井伊直政が松下源太郎の養子となって松下家の跡継ぎとなっていたのに、井伊家を復興したい思いから家康へ井伊の名を名乗ることを願ったと描かれていました。 数少ない史料のすきまを埋めてドラマ化したのでこう…

「直虎」の時代の井伊谷を支えた人物は・・・

大河ドラマでは、「おんな城主直虎」が井伊谷を治めていたことになっていますが、実際の所はよくわかっていません。 少なくとも、成年男子の当主が不在だったことは確実です。このような場合、形式的な当主は置いても、実質的な政務は一族や重臣らによって執…

家康から拝領した「唐の頭」 ~菅田将暉への説明の補足~

昨日(10月16日)のNHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」は彦根が舞台で、大河ドラマで井伊直政役を演じている俳優の菅田将暉が彦根で井伊直政ゆかりのものに触れていました。その中で、彦根城博物館で井伊家当主の「赤備え」の甲冑を見学したとき、説明してい…

新しい井伊直政イメージ

『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』を読まれた方は、これまで知られてきた井伊直政のイメージとは違うという印象を持たれたのではないでしょうか。それは、一言で言えば元にした史料の違いです。 従来の直政イメージは、江戸時代より流布してきた「歴史書」…

『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』発行日によせて

本日10月10日は、『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』の発行日です(実際はすでにできあがって販売開始されていますが)。 大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、9月後半から直政の成長が話の主軸となってきています。ちょうどよいタイミングで出せました。 第…

はじめに このブログのねらい

はじめまして 私はこれまで、彦根の歴史について調査研究し、その成果をさまざまなところで文章化してきました。このブログでは、それらを広く紹介したり、その後の追加・修正を示します。また、そこには書ききれなかった考え方や裏話も述べたいと思います。…