彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

『明治の旧彦根藩士たち』

日本生命創業の起源は彦根にあった

日本生命を創業したのが彦根出身の弘世助三郎であることはよく知られているが、弘世が設立しようとしたきっかけについて、これまで知られていなかった新しい点が見つかった。 弘世が生命保険会社の創設しようとしたきっかけとして、『日本生命百年史』などで…

法律家を輩出した彦根藩 ~相馬永胤と増島六一郎~

『明治の旧彦根藩士たち』では、明治の法律界に足跡を残した2人の彦根藩出身者を取り上げている。 ひとりは相馬永胤。 明治維新後すぐ、アメリカに留学して法学士の学位を得ると、帰国して代言人(弁護士)、裁判官を務めた後、銀行家へ転身し、横浜正金銀行…

受け継がれた藩校教育の精神

幕末から明治にかけての彦根藩関係者の活躍の背景には、藩校をベースとした教育があったといえる。 彦根藩の藩校は、寛政11年(1799)に創設された。当初は稽古館と称し、のちに弘道館と改称している。藩の次世代を担う藩士子弟が学問や武芸の研鑽に励んだ。…

戊辰戦争での功績 ~近藤勇を捕縛したのは彦根藩士

戊辰戦争関連でもう1つ。 新撰組局長の近藤勇が流山で捕縛されたのはよく知られているが、その際「大久保大和」と名乗っていた隊長が近藤であることを見破ったのは彦根藩士であった。 彦根藩兵の一部は、板橋宿に入ったあと、慶応4年4月3日に北上して宇都宮…

戊辰戦争 ~小山での戦闘~

小山(栃木県小山市)といえば、関ヶ原合戦の際、徳川家康が引き返す判断を下した「小山の評定」の舞台として知られている。彦根藩にとっては、戊辰戦争の際に旧幕府軍との間で戦闘を繰り広げ、藩士が命を落とした地でもある。 慶応4年正月からの戊辰戦争で…

戊辰戦争の去就に影響を与えた彦根藩

彦根藩は戊辰戦争で「官軍」だった。 江戸時代を通じて、徳川譜代の筆頭であった井伊家が、それを裏切るように、戊辰戦争では官軍に味方したのはなぜか。 そもそも、彦根藩が官軍方だったとは知らない人の方が多いかもしれない。 慶応3年10月に徳川慶喜は大…

幕末彦根藩の危機的状況

藩主井伊直弼の命が奪われた桜田門外の変。 家臣たちはその仇討ちを果たそうと、続々と江戸へ向かう。もしも彼らが実力行使をしていれば、江戸市中を混乱に陥れることになり、彦根藩はお取り潰しを免れなかったところ、藩首脳部は何とかして彼らの暴発をおさ…

『明治の旧彦根藩士たちー近代化に尽力した人物史ー』を刊行しました

久しぶりの記事更新となります。 このほど、サンライズ出版より『明治の旧彦根藩士たちー近代化に尽力した人物史ー』を刊行しました。 この本では、明治維新の時点で彦根藩に属していた9名をとりあげ、その生涯と活躍を紹介しました。彼らは、先進的な西洋…