幕末彦根藩の危機的状況
家臣たちはその仇討ちを果たそうと、続々と江戸へ向かう。もしも彼らが実力行使をしていれば、江戸市中を混乱に陥れることになり、彦根藩はお取り潰しを免れなかったところ、藩首脳部は何とかして彼らの暴発をおさえ、ようやく藩を存続させることが叶った。
その2年後の文久2年には、直弼と対立していた「一橋派」が幕政を掌握し、京都では尊王攘夷派が席巻して、直弼政治に批判的な勢力が政局の主導権を握ることになった。彦根藩はまたしても危機的な状況を迎えたが、世の動向を敏感に感じ取った者が藩の主導権を握って、自己改革をなしとげ、幕末の動乱を生き残ることができた。
幕末彦根藩を主導したのは「至誠組」。その名はこれまでも知られている。では、このグループがどのように組織され、どのような考えをもち、何を目指したのか。
詳しくは『明治の旧彦根藩士ー近代化に尽力した人物史ー』をご覧ください。