井伊直政が家康家臣となった際の逸話について(推論)
『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』を刊行したことで、いくつか取材を受けました。
その中で聞かれたことで、著書の中に記していなかったことをここで記しておきます。
井伊直政が家康の鷹狩の際に偶然対面して家臣となったという逸話について。
直政が家康に召し出されたのは、家康が鷹狩りに出かけた際に対面して声を掛けたのがきっかけというのは、江戸時代初期の由緒書にも書いてあるため、完全な創作とは言いがたい。ただ、それは偶然ではなく、偶然性を装う「演出」がなされたと見るのがよいと思う。
名家の跡継ぎが召し出されるということなので、直政が居城(浜松城)に登城してそこで対面するというのが正式なやり方になるはずであるが、そうはしなかった。その理由は、井伊家の跡継ぎの存在について、家康はあえて周囲の家臣らにも秘密にしていたためではないだろうか。
直政の存在は家康と井伊家旧臣たちの間だけのトップシークレットで、家康の外出時に対面する機会が設定され、主従関係をとり結び、家臣となったのではないかと考える。
直政出仕直前の頃の政情を考えると、徳川はまだ武田と対立しているため、井伊の跡継ぎの存在が武田に知られると、武田としてはその身を奪って自分たちの手元に置こうと考えかねない。当主を味方にすることで、井伊谷周辺を支配下に置くのに有利に働くことになるからである。
井伊家の跡継ぎの存在が徳川家臣の間に知れ渡ると、その情報が武田に漏れないとも限らない。
このようなことが起こらないよう、直政の存在を秘密にしておき、直政が15歳になるとすぐに、比較的動きやすい鷹狩りで対面して主従関係を結び、家臣にすることに成功した。とは考えられないだろうか。
この対面のために裏で働いたのは、もちろん「井伊家伝記」が述べるような次郎法師や南渓ではなく、松下ら井伊家配下にあった者でこの時点では徳川家臣となっていた者しか考えられない。