関ヶ原合戦図屏風[井伊家伝来本]の構図 その2
前回に引き続き、関ヶ原合戦図屏風のどこに何が書かれているのか見ていきましょう。
今回は3扇です。
*屏風は1曲ごとに右から1扇・2扇とかぞえます。
合戦図はこちらからご覧ください
関ヶ原合戦図(井伊家伝来資料) | 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館
*図の中には付紙で人名などが記されています。その人名は赤字で示します。
上から:
① 石田三成本陣 白地に「大一大万大吉」の幔幕が張られており、その内側が本陣ということを示している。
② その下、柵を越えて本陣方面に戻ろうとする石田隊。「大一大万大吉」の旗を掲げているのが石田隊。貼紙の人名では、森九兵衛、北川平左衛門、大場土佐、大山伯耆が示されている。
③ ②の下、右側では島新吉と藤堂玄蕃の組討が描かれている。
「関原軍記大成」には、島新吉(島左近の嫡子)と藤堂玄蕃(藤堂高虎の甥)が組み合いになり馬から落ち、新吉が玄蕃の首を取った。その後すぐに玄蕃の小姓である山本平三郎が新吉を刺してその首をとった、とある。
この逸話の様子が合戦図に描かれている。
④ ③の左、山の麓には小西行長の本陣がある。旗印は3本の山道(MまたはWを3本重ねたもの)。幔幕の内側には行長が左方向へ退却しようとする姿や、本陣方向へ戻ろうとする侍一行の姿がある。
⑤ 小西行長隊から山を隔てた下側では、島津隊の先手が鉄砲を撃ちかけている。その指揮をするのは島津家老の阿多長寿院。島津隊は、勝敗が決すると敵中突破して戦場から去ったが、その際島津隊の鉄砲が井伊直政にも当り、直政が負傷したことが知られている。これを推測させるよう、井伊隊の先手へ向けて鉄砲が撃ちかけられている。
⑥ 島津隊の鉄砲の先にいる朱色の旗指物の部隊が井伊直政隊。八田金十郎がまっさきに敵方面へ駆け出している。
⑦中央右、本の字の旗指物は本多忠勝主従。忠勝は落馬する様子が描かれ、そこに向かって家臣の梶金平が馬を牽いている。白馬に乗っているのは忠勝2男の本多忠朝。周辺では本多家臣の加藤忠左衛門、山口主水、吉原新介が戦っている。
⑧本多隊の下には黄地に葵紋の旗を掲げた松平忠吉(徳川家康4男)とその家臣の嶋沢九兵衛、阿知羽角介がいる。また、忠吉と組み合っている相手は島津義弘家臣の松浦三郎兵衛である。両者の組み討ちは「関原軍記大成」に逸話として収められている。
⑨松平忠吉の下には、松倉重政主従が描かれている。従者が重ね笠の馬印を掲げている。松倉は井伊直政隊に属して戦ったと伝わる。
⑩3扇の下段には白地に桐紋の幔幕が張られている。これは福島正則隊の本陣をあらわす。ここから左上方向に桐紋に山道の旗印を持つ福島隊が広がっている。先手は4扇に描かれているが、大将の福島正則の姿は3扇中央下左側に大旗や銀色の芭蕉葉の馬印とともに描かれている。