彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

『黒田家文書』との出会い

 井伊直政といえば、従来、「徳川四天王」や、「井伊の赤備え」というキーワードが示されていたように、徳川家康の重臣の一人としては認識されていましたが、活躍した場面は関ヶ原合戦や小牧長久手の合戦など、戦場で活躍した人物と思われていました。

 

 それに対して、私が直政の政治家・外交官としての功績を初めて示したのは、2007年のことでした。同年3月に論文「徳川家康天下掌握過程における井伊直政の役割」を発表し、その内容は同年秋の彦根城博物館展覧会「戦国から泰平の世へ-井伊直政から直孝の時代-」で取り上げました。

 

 ここでは、豊臣秀吉没後から関ヶ原合戦に至る政治抗争=政界再編において、徳川が多数派を占めることができた大きな要因には、直政の優れた外交交渉能力があったことを、実際に交わされた書状等をひもといて示しました。
 この論をまとめようというきっかけには、ある史料集との出会いがありました。

 福岡市博物館が発行した『黒田家文書』第1巻(1999年)です。

 ここには、黒田如水・長政が豊臣秀吉徳川家康や諸大名から受け取った書状など、黒田家にとって最も重要な文書類239点が掲載されています。

 その中に黒田長政井伊直政が交わした書状や起請文が含まれていました。中には、これまで知らなかった直政関連文書があり、これらの直政文書の意味を考える中から、直政の外交交渉能力の検討へと至ったのでした。

 

 f:id:hikonehistory:20180220170646j:plain

 

 この史料集は、その他にもさまざまな点で“すごい”1冊でした。

 全体構成や内容的にも他に例を見ない作りのものです。
 すべての文書について、釈文、読み下し文、注釈が示されています。また、別冊ですべての資料の写真が示されており、活字では読み取れないさまざまな情報を読み取ることができます。

 多くの史料集を見ていると、紙面の都合から掲載できる情報を限定しています。釈文中心となったり、重要資料のみの抜粋となることが多いですが、『黒田家文書』は省略することなく、あらゆる情報をその中に入れようという方針がうかがえます。そのため、専門の研究者だけでなく、歴史に興味のある一般の方にも理解できる内容となっています。

 

 さらに、第1巻ということもあり、この史料集の刊行の意義と、黒田家資料寄贈の経緯が述べられています。

 特に、大名家資料の場合、大名家の末裔が所蔵していた史料を地元自治体に寄贈して、地元の博物館が中核的な資料として保管・公開する例が各地に見られますが、黒田家資料が現在のように収蔵されるに至る経緯がきっちりと示されたことは非常に意義あると感じました。旧華族の「家」の資産から、地域の歴史を示す公共性の高い文化財へとすることで、永続的に保存管理できる体制を整えた、おそらく先駆的な事業であり、担当者ご本人による文章からは、情熱をもって苦難を乗り越えてその使命を果たしたという達成感が読み取れます。

 同様の大名家資料の保存管理・史料集作成を仕事としてきた身として、考えることの多い1冊でした。

 

 実はこの本に出会ったのは、「創り出した」偶然の成果といえます。

 博物館で仕事をしていると、つきあいのある博物館等から刊行物を贈っていただくことはありますが、それがすべてではありません。大学のように、専門書が揃っている図書館を自由に使えるわけでもありません。
 そのため、自主的に(当然公務ではなく)出かけていき、「何か関係する研究がないか探す」ということを時々やっています。『黒田家文書』を見つけたのは、京都府立総合資料館でのことでした。井伊直政の文書が含まれているとは知らず、何げなく手に取ったところ、前述したような豊富な内容のものだったのです。

 

 京都府立総合資料館は、近年新しくなって京都府立京都学・歴彩館となりました。新しい建物で使いやすくなった点もありますが、開架で自由に手に取れる図書は少なくなったように感じます。開架スペースの減少はこの館に限ったことではありませんが、開架されていたからこそ偶然の出会いが生まれ、新たな着想へ展開することもあるのです。