彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

井伊直政家臣列伝 その2 小野源蔵 ~井伊氏奉行の家~ 

小野氏の家系

 小野氏は大河ドラマ「おんな城主直虎」の影響で一挙にメジャーになった。しかしドラマの「元ネタ」といえる「井伊家伝記」は小野氏(和泉守・但馬守)を敵役に位置づけて描いていると思われる。まずはその理由も含めて、戦国期の小野氏のあり方を一次史料に基づいて見ていきたい。
 
 小野氏は戦国時代の井伊氏「家老」の家柄とされる。家老とは江戸時代の武家でみられる表現であり、戦国時代のあり方からいえば、家政をつかさどる側近という立場にあった「奉行」と呼ぶのがふさわしい。戦国時代の主従関係では、普段は所領に居住しており戦となると戦陣に馳せ参じる者と、主君のそばに日常的に勤めてその政務にたずさわる者がいた。小野は後者といえる。
 それは、連歌師宗牧の紀行文『東国紀行』から明らかとなる。天文13年(1544)、旅の途中、井伊氏の所領を通過した宗牧は、城主「井伊次郎殿」の城ではなく和泉守の屋敷に一泊したという。先を急ぐため城山に登らず和泉守の所に宿泊し、翌日は都田方面へ向かったとあることから、和泉守は井伊谷城のふもとに屋敷を構えていたことがわかる。
 和泉守の跡を継いで井伊氏の奉行を務めたのは但馬守である。有名な井伊谷徳政の書状に「小但」という呼称で登場し、今川方は徳政を実施させるため彼を通じて当主次郎の承認を得ようとしている。但馬守は井伊氏を代表して上級権力である今川氏とやりとりする取次を勤めていたといえる。
 このように、小野氏は井伊氏の政務運営上不可欠な人物であった。
 
 一方、「井伊家伝記」では小野和泉守や但馬守と井伊直満・直親父子が不和で、小野の讒言により父子が討たれたと記す。
  • 和泉守は直親が当主直盛の跡継ぎとなることを良しとせず、直満が武田に対する戦の準備をしていたのを勝手に軍事準備していると今川に讒言したため、直満とその弟の直義は今川により討たれた。
  • 直盛没後、小野但馬守は井伊谷を押領しようと陰謀を企んでいた。そのため、直親が家康と行き来していたのを知った但馬は、今川氏真へ直親が家康と一味同心であると讒言する。今川は直親を討とうとして掛川城主朝比奈備中守へその先手を命じた。
 これらを客観的に見ると、小野と直満・直親には政治的な方向性の違いによる対立があったととらえられる。特に、小野氏は今川に対する取次を務めており、外交方針の見解が異なったのではないだろうか。徳川が入ってきて今川勢を駆逐した際に小野但馬守が命を奪われたのも、小野が今川と井伊をつなげる役割を果たしていたからであろう。
「井伊家伝記」は、直政の末裔である彦根藩主に読ませようと著したものである。そのため、直政の父祖を悪く描くことはしない。また、今川を滅ぼした徳川の時代のことでもあり、井伊氏と今川をつなげた小野氏は「敵役」のように悪く描かれ、その行為は「讒言」と評されたとみることができる。

 

 

直政家臣の小野氏

 直政家臣の小野氏としては、小野源蔵と小野八右衛門がいる。
 源蔵の父小野玄蕃朝直は、桶狭間井伊直満に従って討死したうちの1人である。母は奥山因幡守親朝の娘であり、直政の母と姉妹の関係にある。幼少期は亥之介と称し(「井伊年譜」)、直政が家康のもとに出仕をはじめたときに御供して城内に入り、家康から万福と名前を下されたという(「井伊家伝記」)。つまり、直政にとって源蔵は母方の従兄弟であり、直政の出仕当初から側近くで従っていた人物であった。
 源蔵と八右衛門、また和泉守・但馬守との関係については、それを示す小野氏系図がある。確認できたのは、享保14年の「小野氏系譜略并由緒書」(井村修『井伊氏と家老小野一族』所収)と、龍潭寺蔵「小野氏系図」(WEB静岡県史編さん収集資料検索システムにて画像公開)の二種類であるが、内容が類似しており(ただし龍潭寺系図では但馬守政次が記されていない)、元となる系図は同一と思われる。それらの系図では玄蕃と八右衛門を小野和泉守の息子とするが、「井伊年譜」や「井伊家伝記」ではそのような記述は見られないため、あえて関係は特定せず、同じ一族としておく。
 
 慶長7年(1602)の分限帳では、源蔵が1500石、八右衛門が500石。両名とも直継に従って安中へ移り、元和年中の安中分限帳では源蔵は700石で家臣団中四番目、八右衛門は500石で八番目の序列であった。源蔵の家系は代々七郎左衛門を称し、直継の家系(最終的に与板藩)で家老を務めた。また、源蔵の二男角右衛門は水戸徳川家に仕えたという。
 
 
参考文献
野田浩子『井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』(戎光祥出版、2017年)
野田浩子「『井伊家伝記』の史料的性格」 (『彦根城博物館研究紀要』26、2016年)
 典拠史料
『新修彦根市史』6巻(彦根市、2002年)

 

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井伊谷龍潭寺にある小野氏一族の墓