彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

朝鮮人街道の謎に迫る その5 通行者の謎

朝鮮人街道についての解説の中で、「一般人の通行が禁じられていた」「将軍以外では唯一朝鮮通信使の通行が認められていた」というものを見たことがある。
この表現は正確なのだろうか?検証してみたい。

 

まず前提として、参勤交代や幕府役人など幕府公用での通行と、庶民の私的な通行を区分して考えたい。

参勤交代の大名が朝鮮人街道を通行しなかったのは確かである。西国の大名が参勤交代で通るのは原則として東海道で、事情によって中山道を通行することもあった。幕府は東海道中山道に宿場を置いて大名の宿泊施設である本陣を設置しており、大名が通行・宿泊するための設備が整えられていた。
一方、朝鮮人街道は彦根城下町を貫き、城下の伝馬町に「彦根宿」が置かれたが、この宿は中山道から彦根城下町に引き込まれた宿駅で、伝馬機能のみを持ち、宿泊機能は常備していなかった。彦根に立ち寄る目的がある場合に限り、彦根城下町に入り込む朝鮮人街道を通行し、彦根宿でも臨時の宿泊に応対した。
彦根へ立ち寄った公的な旅行者は、上洛する将軍と朝鮮通信使の他には、将軍代替わりごとに派遣された幕府の巡検使があった。そのほか臨時の幕府公用旅行者として伊能忠敬の一行もいる。彼らは朝鮮通信使を通行している。

一般の旅行者も、彦根や周辺の村々に用事のない者が通過するためだけに朝鮮人街道を通ることは考えにくい。一方、朝鮮人街道は彦根と周辺村落をつなぐ道筋でもあり、彦根藩関係者や地元の者が日常的に通行するのに支障があった訳ではない。

 

以上より、朝鮮人街道は、一般の通行が「禁じられていた」というより、彦根や街道上の村々に用事がなく通過するだけの旅行者が通行することを想定しておらず、宿泊施設なども常備されていなかったため、通行しなかったというべきであろう。

 

 

 

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