彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

井伊直政はなぜ徳川家康の筆頭家臣に昇り詰めたのか?

井伊直政 家康筆頭家臣への軌跡』のテーマは、

井伊直政はなぜ徳川家康の筆頭家臣に取り立てられたのか?

という理由を探ることでした。

 

結論だけを言ってしまえば、

名門の出自+外交交渉能力

この2つが直政を家康筆頭家臣にしたと考えられます。

 

まず出自について・・・
井伊氏は西遠江の有力国衆の家柄であり、徳川よりもはるかに名家です。
家康はその地に軍事進出して領地としましたが、元の領主の「プリンス」である直政を配下に入れ、相応に遇することは、徳川が新しい領地を治めるためにも有効でした。

そのような家柄に生まれた直政は、生まれついての才能に加え、大将となるべき教育を受けて育ち、抜群の交渉能力を身につけます。


この2つを武器に、家康は22歳の直政に武田氏が滅んだ後の家臣を味方につける交渉を担当させます。
その後も秀吉の母である大政所が家康のもとに人質として送られた際、直政は大政所を預かる役を担い、大政所に気に入られたといわれています。
また、直政の交渉力が際立ったのは、豊臣秀吉の没後から関ヶ原合戦までの政争の中で、諸大名を味方につける交渉を担ったことでしょう。

 

直政の破格の出世は家康の寵童だったためという俗説がありますが、井伊家という出自のもつ重みがわからなくて、何らかの理由をひねり出したものでしょう。