彦根歴史研究の部屋

彦根や井伊家の歴史について、これまで発表してきた私見の紹介・補足説明・修正など。

『朝鮮通信使と彦根』

朝鮮通信使と鳥居本宿

先日、中山道の鳥居本宿(彦根市鳥居本町)で開催された「とりいもと宿場まつり」の催しの1つとして、「朝鮮通信使と鳥居本宿」というテーマで講演をしてきました。そこでは、通信使の通行と鳥居本宿との関わりについて紹介しました。もちろん、先日刊行した…

朝鮮人街道の謎に迫る その6 名称

今回は「朝鮮人街道」という街道の名称について。 現在は一般的にこの名称が使われているが、江戸時代の史料を見る限り、これが公式な名前ではなかったことがわかる。江戸時代にはいくつも呼び名があり、むしろ「朝鮮人街道」という名を探す方が難しいほどで…

朝鮮人街道の謎に迫る その5 通行者の謎

朝鮮人街道についての解説の中で、「一般人の通行が禁じられていた」「将軍以外では唯一朝鮮通信使の通行が認められていた」というものを見たことがある。この表現は正確なのだろうか?検証してみたい。 まず前提として、参勤交代や幕府役人など幕府公用での…

朝鮮人街道の謎に迫る その4 幕府の街道政策の中で

今回は、朝鮮人街道が江戸幕府の街道政策においてどのような位置づけであったのかを考えたい。 まず前提として、幕府の管轄していた街道の区分を確認しておくと、 Ⅰ 道中奉行の管轄していた五街道およびその附属街道 Ⅱ 勘定奉行が地元領主を通じて取り扱った…

朝鮮人街道の謎に迫る その3 整備の経緯 

前回、朝鮮人街道は下街道(巡礼街道、信長の整備した佐和山城から安土城へ向かう街道)をもとに、江戸時代初期に整備されたことを示した。 今回は、江戸時代初期に整備された経緯を考える。 これを考えはじめたきっかけは、慶長12年(1607)の第1回通信使…

朝鮮人街道の謎に迫る その2 巡礼街道から朝鮮人街道へ

前回、 朝鮮人街道およびその前身街道は、整備された段階として次の3つに区分できることを示した。 中世段階(信長による整備以前) 織田信長による整備 江戸時代初期の整備 1は、彦根山に築城する以前、霊場として寺院が建ち並んでいた時期に、参詣者が彦…

朝鮮人街道の謎に迫る その1

近江(滋賀県)には、通信使一行が通ったことでその名前がつけられた街道が残っている。野洲市から彦根市にかけて、中山道から分岐してその西側の琵琶湖岸との間を通る「朝鮮人街道」と呼ばれる街道である。他の通信使ゆかりの地には見られず、近江独自のも…

『朝鮮通信使と彦根』を刊行しました

このたび、サンライズ出版から、別冊淡海文庫として『朝鮮通信使と彦根 記録に残る井伊家のおもてなし』を刊行しました。 是非ともお手にとってご覧ください。 購入方法、内容紹介はこちらからwww.sunrise-pub.co.jp まずは、執筆の視点を紹介します。 朝鮮…